2000年春同窓会報より

山岳部60年記念山行

 昨1999年は理工学部創立60年の年であった.理工学部で最も古い学生 団体である山岳部も,同時に創部60年を迎えた.OB会では,山岳部報 「嘯雲」の復刻版刊行と,穂高・上高地における記念山行の2つの行事を 企画した.「嘯雲」の復刻では,発見を半ば諦めていた昭和17年発行の 第1号が矢上台の総務部に大事に保管されているという朗報もあった.
 記念山行には,1期生(78才)から4月に入学した1年生(18才)まで の総勢63名が参加した.8月7日(土)に上高地小梨平における盛大なキ ャンプファイヤに参加することを共通の日程とし,その前後に,幹事会 が設定した9つのコースを,各自の体力や仕事の日程などに合わせて選 択してもらった.60代の同期の岳友と40年ぶりに槍ヶ岳へ登るパーティ ー,今では歩く人がいなくなってしまった徳本峠を学生時代のように越 えて上高地に入るパーティーなど多彩であった.最も人気があったのが, 20期の人たちが学生時代(1960年代)に開拓し,連綿として今でも継承 されている穂高の横尾本谷右俣のテント場を訪問するコースであった. 右俣テント場手前には大きな岩があり通過が難しい.ここには,先発で 入った最高年齢69才,平均64才のパーティーがザイルを固定してくれた. さらに,このパーティーは,テント場までの下降路を知らない学生パー ティーを南岳の稜線まで迎えに出るなど,大活躍であった.
 学生時代には一緒に登ったことのない年齢差のあるOB,あるいは遠 隔地に在住するOB同士でも,山に対する憧れと,山でのリーダーシッ プやメンバーシップに対する考えは共通である.30年ぶりに上高地で 出会った仲間同士でも心が通いあって,穂高の山を安心して,楽しく 歩くことができた.そして,山岳部OB会で運用している山岳部ネッ トワーク kstac mailing list の活用は,これをより確実なものとする ことができた.一つ残念なことは,計画段階で熱心に準備して下さった が,仕事の関係で急遽参加できなくなった 30-40代のOBが数名あった ことである.
 写真は,1期の鈴木登紀男名誉教授と61期生(1年生)長沼君による キャンプファイヤ点火の様子である.なお,記録の詳細は, http://home.catv.ne.jp/dd/hibiya/KSTAC_60Hodaka/kstac60top.html に写真入りで掲載してあるので,ご覧戴ければ幸いである.
文責:日比谷(27期応化),伊藤(31期電気)






2000年春同窓会報より

故永井先生追悼文


「心」の師 永井先生                12期応化 星 出 睦 彦

 永井先生は,藤原工大即ち慶大理工学部の一期生であり自らその歴史を為された.そして日本を代表する電気化学の権威として数多の秀でた学術的足跡を残された.しかし先生を語るには,数々の功績より類稀な人間性の方が相応しい.

 私は,1951年以来毎年先生の授業を受けた.卒論,修士論文では,先生と机を並べて学問のみならず人世全般について一対一の御指導を戴いた.卒業後も接触のない年とてなく,実に半世紀近く先生の日常に触れて,その人間性の偉大さに感銘を受けた.

 小金井持代は「長屋」と称して,永井,久野(後に塾長),日比野新進気鋭三助教授が研究室の軒を連ねて何事にもつるんで居られた.ゼミも合同で,可愛い愛娘,愛息跳ね回る永井先生のお宅の大きな応接室で火曜日の夕方から行われた.ファラデーソサイアテーなどを教材にすることが多かった.吾々不勉強者には難行苦行だったが,美人の奥様のいれて下さるコーヒーが楽しみであった.当時永井研には,勉強よりスポーツや焼酎に強い学生が多く,先生は余りお好きな方ではなかったが,付合いのいい先生は快く付き合って下さり,山など結構楽しんで居られた.また,工学部のクラス対抗では教職員チームは強く,その駅伝やサッカーに先生は活躍されていた.体育祭や障害物競走での勇姿は今も目から離れない.

 先生を識る誰もが言うことだが,先生は万人に深く深く信頼され慕われた.それは,ずば抜けた心の大きさ,清らかさ,暖かさにあると思う.これを分析すると,「誠実さ」,「気遣い」,「几帳面さ」,「自分よりひと,団体の事を優先し,しかも全力投球する」となろうか,先生のこれらの性格は,とても他人の真似出来る域ではなく凄いものであった.

 何事にも几帳面な先生の息抜きなのだろうか,それとも多才なのか,お若い頃から俳句を楽しまれていた.また,随筆には名文を残された.若き日の作詩になる藤原工大の名記念祭歌「鰭雲」は今なお理工学部に歌い継がれている.このように先生は偉大なる化学者であると共に詩人でありロマンチストであった.私は先生の醸し出される大正ロマンの雰囲気をこよなく愛した.これも雲上の大学者なるに万人に愛されてやまなかった所以であろう.晩年には,学校でもOB会でも,いつもにこやかに俗世を超越されたかのように飄々として,面倒見の良い横丁の物織り御隠居然として居られた.

 半世紀に亘って,「心」の師であった永井先生は私にとって永久不滅であり,今も肩組み合って鰭雲を歌っている気分である.